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column蔵書カードを想う 吉田 光男附属図書館長大学院(文化科学研究科)人文学プログラム教授 このところ図書館の蔵書カードの肩身が狭くなっています。そんな古典的なものに頼らないで、OPACなどを駆使すれば、ごく短い時間で、日本はもとより世界各図書館の蔵書調べが可能となったからです。以前は、うまく冊子体の蔵書目録が利用できればよいのですが、そうでないと現地に出かけて蔵書カードで調べることになりました。それが空振りに終わった時の徒労感には大きなものがありました。これも勉強のうちなのですが、やはりなけなしの時間と資金を費やしたあげくであるから大いに落胆したものでした。 日本最大の図書館である国立国会図書館の場合、明治時代から時期ごとにさまざまな目録が作られていて、これらがなかなか手に入りません。いきおい、直接出かけて調べることになるのですが、これがけっこう難物です。ある程度の書名や著者名がわかっていても、時代ごとに分類方法や分類記号そのものが変わっていますので、いくつかの蔵書カードボックス群を渡り歩く羽目になります。これが結構な時間を食ってしまいました。最低限の書誌情報どころか、そもそも原本の有無さえもわからない場合にかかる手間は大変なものになる。しかも必要とする本にたどり着いても、利用者が多いので、閲覧申請してから出庫されるまで時間がかかるし、閲覧冊数も限定されている。効率的に利用するためには多くの工夫が必要となります。これが秘伝のように先輩から伝えられていました。ところが、現在、国会図書館のホームページに行けば、自宅からでも全蔵書が簡単に検索できるし、古い文献に関してはPDFによる公開もはじまりました。 では、蔵書カードなどというアナログ時代の「遺物」はもはや必要のないものになったのでしょうか。某図書館で資料調査をするために、蔵書カードで検索していた時のことです。カードには、目録やデータベースで公開されている以外の情報がかなり多数、記入されていることに気がつきました。たとえば、メモのように、研究費で購入した教員の名前や購入価格、時によっては購入書店やその時の事情まで書かれていました。あるいは、ペン書きのデータを見ると、インクの色の違いや、書き手の違いまで読み取ることができます。また、その紙質は時代を反映しているので、いつころ作成されたものか、あるいは修復したり複製したりしたものかまでわかることがあります。蔵書カードを通して図書館や蔵書の歴史まで読み取れるというのを持論としています。学生のころ、歴史学研究の師匠方から、「歴史資料は五感を働かせて読み取れ」と教え込まれました。手触りや匂いやその他諸々も重要な情報なのであり、資料は文化そのものだというのがその教えの根幹です。本を舐めてみろと言わんばかりの勢いです。実際に本を舐めて味を確かめていた方もおられたようです。まさに「時代の味」そのものです。 蔵書カードも一種の歴史資料です。これが完全にデジタル化された時、どこに五感を働かせたらよいのだろうか、と私は考え込んでしまいます。IT化することで蔵書カードが場所塞ぎをするだけの無用の長物視されることに危機を感じています。各地の図書館を訪問するたびに、蔵書カードの重要性について強調しているのですが、いずこも同じスペース不足なので、わかっちゃいるけどね、という状態なのです。スペース不足は文化を壊すと嘆いている今日このごろです。38

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